穂積 穀重
事故のショックから私自身未だに立ち直れない状態ですが、身近に居て状況を知っている者として、事故と葬儀の経過について概略ご報告致します。
2月14日夜、後藤先生からの電話で朝倉先生が交通事故で亡くなられたことを知る。その日の昼過ぎ、つくば市内を自転車で移動中に車にはねられ、即死状態だった由。
翌15日朝、お宅を弔問し状況を伺う。先生はデパートで買ったチョコレートの包みを持っておられたそうで、奥様によれば「バレンタインデーのお返しに主人もチョコレートを私にくれようとして買いに行ったんじゃないかしら」とのこと。「お返し」の日も、品物も世間離れしていて、いかにも学問一筋の先生らしいと思う。葬儀は先生のかねてからのご意志に添い無宗教で行われることとなる。荒井事務局長に学会内の連絡分担を依頼。
16日夜の「前夜式」(お通夜)には稲垣会長が駆けつけ弔辞を述べられた。
17日昼の「お別れの会」には「アジア連合学会」松尾事務局長も列席、台湾の陳光大、韓国の趙烈両代表ともども弔辞を述べられ、中国の基礎造形学会(研究会)からの弔電も読み上げられた。会場には当学会諸組織を始め造形関係、教育関係の団体、個人からの生花が多数飾られ、弔問者による献花の列が長く続いた。先生が名誉会員であられる日本デザイン学会からも会長や理事が出席され、先生の活躍の幅広さを確認する会となった。
最後になりましたが、様々な形で弔意をお寄せ下さった多くの会員、関係者の皆様に、個々のお名前は略させて頂きますが、心から御礼申し上げます。誠に有難うございました。
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